「ぅん~!うまい!」と、
つい声がもれてしまうくらいの
おいしい海産物がいっぱい!
オホーツクのおいしさ、
枝幸のおいしさ。

食のプロが称賛する
オホーツク枝幸ブランド

美味しさの秘密は流氷と山々にあった!!

枝幸の毛がにやほたての美味しさには、枝幸独自の枝幸にしかない美味しさの秘密があります。
ここでは、枝幸の海産物がなぜ美味しいのか、知る人ぞ知る秘密をご紹介させていただきます。

流氷が漂着し、マイナス30度を超える枝幸町

北海道の枝幸町(えさしちょう)を知っていますか?枝幸町は北海道北部に位置し、オホーツク海に面した漁業と酪農が盛んな町です。 枝幸町は山々とオホーツク海に囲まれた町で、流氷が接岸する頃、内陸部ではマイナス30度を度々記録しています。

北海道内でも最高ランクの枝幸毛がに

流氷が去った「海明け」のオホーツク海。3 月中旬になると枝幸町では毛がに漁が始まります。 枝幸町の毛がには北海道内の市場でも最高級の評価を受けています。 枝幸では、専用の「カゴ」を用いる「かに籠漁」で毛がにをとります。 メスの毛がにや規定のサイズ以下はとらないことで、水産資源を守り続けています。 カニミソも身も、たっぷりと詰まった国内最高級品の 「枝幸毛がに」をふるさと納税の返礼品としてお送りしています。

甘くて肉厚むっちり、シャキシャキ食感の枝幸ほたて

6月に入ると、ほたての漁が始まります。 枝幸ではほたての漁場を4つに区切り、1年ごとに区画をかえて稚貝を海に放し、 4年間かけて収穫する「4輪採制」を採用しています。 海底の砂地の中で4年間、たっぷりと栄養を蓄えたほたては甘みがギューっと詰まり、 貝柱の高さが日本最高レベル。 そして、なんといっても貝柱の「シャキシャキ」とした食感がたまらない。 肉厚で甘くたべごたえのある「枝幸ほたて」を一度お試しあれ!!

『品質と資源を保つ漁法で日本有数の水揚げ量』

他の海域で育った毛ガニ(冷凍)
枝幸産毛ガニ(冷凍)

旬な時期

3月中旬から5月下旬

冬のオホーツク海にやってきた流氷がもたらすプランクトンと 北見山脈から流れる栄養に恵まれて育った「枝幸毛がに」は町が誇る特産品! 身入りはもちろん味も質も抜群です。

味覚の特徴

枝幸毛がには雑味が少なく濃厚な旨味がしっかりと感じられます。

①味の「うまみ」と「コク」が強い
②「うまみ」と「コク」が先に感じられる
③酸味と苦味が少ない

「毛がに」の歴史

~安価な缶詰原料から人気の高級食材へ~

現在では「毛がにのまち枝幸」と称されるまで全国的にも有名となりましたが、その歴史には様々な苦労がありました。 北海道でたらばがにの漁獲が減少し、代替の安価な缶詰向け加工原料として「毛がに」が注目を集めるようになった 昭和10年代(太平洋戦争直前)に最初の毛がに籠漁が行われました。しかし、当時は好不漁が激しく、 にしん漁が漁業の中心であったため本格的な操業にはいたらず、さらに、昭和15年5月の「枝幸大火」で 缶詰工場が被災したことも引き金となり、徐々に毛がに籠漁は衰退していきました。

終戦をむかえた後も毛がに籠漁を営む人はほとんどいませんでしたが、主力漁業であったたらばがに漁の不振が続き 加工も下火になるにつれて、昭和30年代半ばに大きな期待のもと毛がに籠漁業が再開されます。 幸いにも当時の枝幸前浜は、他地域をしのぐ資源量を誇っていたため、徐々に毛がに籠漁を営む人が増え、 最盛期には50隻の漁船で千トン、二千トンの水揚げという、現在では想像もつかないような豊漁が数年続きました。

しかしその結果、昭和30年代後半までに資源量が減少の一途をたどったため、 昭和39年に北海道から資源保護のため3年間の禁漁方針が示され、 やむなく休漁を強いられることとなります。 その後、何とか毛がに籠漁を復活させたいという漁業関係者の強い思いから、 昭和42年、試験操業の形で全盛期の5分の1にあたる10隻で毛がに籠漁を再開。 資源に見合う漁獲許容量の設定や雌(メス)がにの漁獲禁止・ 漁獲サイズの取り決めなど徹底した資源管理が行われ、 現在の18隻による安定した操業体制が確立されました。 昭和30年代の毛がには缶詰の加工原料として安価で取引されましたが、 昭和40年代になるとボイルが主流となり単価的にも上昇。 昭和42年には、毛がにの消費拡大を目的に「第1回枝幸かにまつり」も開催され、 その甲斐もあり昭和50年代には商品価値が向上し、 全国の消費者に認められる人気の高級食材として現在の地位が築き上げられました。

甘みが際立つ「枝幸ほたて」は旨味も食感も最高峰

他の海域で育ったほたて
枝幸ほたて

旬な時期

6月から10月

流氷がもたらすプランクトンや北見山脈から流れる栄養と夏場でも冷たい海域で育った 「枝幸ほたて」は貝柱が肉厚で、大きく、とても甘みがあり、栄養素も甘味成分グリコーゲン値が日本でも非常に高く、 タウリンなども多く含まれています。

味覚の特徴

枝幸ほたては、甘味旨味が感じられやすく
雑味が少ないので後味も良いです。

①味の「うまみ」が強い
②「甘味」が高く「塩味」もほど良い
③酸味と苦味が控えめ

ほたて漁業の歴史

〜苦難を乗り越え世界に羽ばたく
「枝幸ほたて」〜

明治の半ば頃に小樽方面のほたて船団が使用していた八尺(漁具)の技術を学び、枝幸のほたて漁が始まりました。当時は現在のような養殖技術も無かったため、 天然のほたてを細々と漁獲しており、昭和29年頃の約1万1千トンの水揚げを境にほたて資源の減少が進んだことから、 ほたて漁に着手する漁業者は徐々に減っていきました。その後、刺網や定置網など様々な形態の漁業に取り組んできましたが、 より安定した漁業生産を目指し、約30年後の昭和61年に「枝幸ほたて漁業共同企業体」を発足します。 この時代になると道内の各地域でほたての養殖技術や八尺の改良などが進み、それらを研究しながら翌62年には、 ほたて漁場の造成と稚貝の放流を開始。平成2年から「4輪採」(4箇所に漁場を区画して1年に1区画を漁獲) での操業が始まりました。

4輪採の1サイクル目は5千トン~7千トン台と低調であったものの、繰り返し漁場造成を行いヒトデの駆除等を実施。 稚貝の追加放流も進め、2サイクル目からは徐々に漁獲量が伸び3サイクル目である平成12年には初めて3万トンを超える漁獲量を達成することができました。

その後は比較的安定した漁獲を維持してきましたが、平成26年冬の爆弾低気圧により、 漁場の砂がほたて貝上に堆積し窒息死するという膨大な被害が発生しました。 被害直後は漁獲が半減し、枝幸の経済も大きなダメージを受けることとなりましたが、 放流海域の再検討や種苗生産の拡大、漁場造成と緊急的な稚貝の追加放流等、漁業関係者の必死な努力により、 平成31年には3万8千トンの漁獲量まで復活させることができました。

また、近年は海外に向けた輸出の取組みも進められており、平成25年に枝幸海域を含む宗谷南部海域が「対EU輸出ホタテガイの生産海域」に指定され、 翌年には枝幸漁業協同組合などが世界でも最高の管理安全基準の「HACCP(ハサップ)」対EU輸出水産食品取扱施設に認定され、 ヨーロッパ諸国へも安心・安全な「枝幸ほたて」が輸出されています。幾多の苦難を乗り越え、 「栽培・資源管理型漁業」を積極的に行ってきた努力の結果が現在の「枝幸ほたて」の品質向上、安定生産につながっています。